
ガラスヒストリー
デザイナーが創り出す世界観とそれを実現するクラフツマンシップ
FOLKARTと手づくりガラスとの出会いは、今から50年以上前に遡ります。
創業者・浅川武彦が、日本の伝統工芸品「ポッペン(ガラス製の吹き戻し)」をオリジナルデザインで台湾で生産し、日本で手ごろな価格で提供できないかと考えたことが、その始まりでした。
当時、台湾には「新竹(シンチュウ)」という地方都市がありました。現在では台湾のIT産業の中心地として知られていますが、それ以前はガラス産業の拠点として栄えていました。豊富な硅砂と天然ガスという、ガラスづくりに欠かせない資源に恵まれていたため、1884年にはすでにガラス生産が始まっていたといわれています。
フォーカートは、新竹にあったガラス工場「元成裕公司」にポッペンの製造を依頼しました。彼らにとっても初の試みで、試行錯誤の末にようやく完成した製品は、フォーカートによって「長崎ちゃんぽん」という名前で日本に輸入され、長崎の伝統工芸「びいどろ」との縁からお土産品として販売されました。この商品は修学旅行生に大ヒットし、現在に続くフォーカートの基盤を築くこととなりました。
それ以来、新竹との長い付き合いが始まります。当時から新竹では、芸術性の高い多様なガラス工芸品がつくられており、初期のフォーカートはその中から日本人の嗜好に合う作品を選び、輸入するというスタイルをとっていました。シンプルな方法ながら、多くの美しい手づくりガラスが日本中の人々の手に渡っていったのです。
そして約30年前、現社長である私・浅川龍が方針を大きく転換し、すべての製品を自社デザインに基づいたオリジナル商品に切り替えることを決断しました。特に、クリスマス、お正月、雛人形など、季節感のあるアイテムの開発に力を注いでいきました。
さらに約20年前、紙粘土作家・鐘江由美さんとの出会いが、新たな転機をもたらします。彼女の作品の世界観とスケール感は、フォーカートのミニチュアガラスと見事に重なり、そして何よりも「かわいいもの」に対する感性が多くの人の心を惹きつける魅力に満ちていました。私たちは彼女にガラス作品のデザインを依頼し、以来長年にわたり協働を続けています。
彼女が紙粘土で創り上げた原型を、熟練のガラス職人が忠実に再現する。それがFOLKART GLASSWORKSの基本スタイルです。彼女は年に数回現地の工房を訪れ、職人たちに直接指導を行っています。
また2年ほど前からは、ミニチュアだけでなく「フュージンググラス」のデザインと制作もスタート。彼女が描いたデザイン画をもとに、工房では1ピースずつガラスをカットし成形、窯で焼成して製品化しています。今後はチーム体制での生産へと移行していく予定です。
DESIGNER:
鐘江 由美(かねがえゆみ)
グリーティングカードやラッピングペーパー、ギフト製品などで100年以上の歴史を持つアメリカの会社でのデザイナーエクスチェンジなどで研鑽を重ねつつ、アクリルペイントや粘土アートなどのアーティスト活動を行う。
2003年フォーカート(当時)ミニチュアガラスの原型を担当し、以後専属となり多くの商品のデザインを担当。
2023年よりフュージングガラスのデザイン・制作を始める。

話は再び新竹に戻ります。かつて台湾のガラス産業の中心だった新竹も、急速な経済発展による人件費の高騰により、次第に製造の維持が難しくなりました。多くの工場が中国大陸やベトナムへと拠点を移し、フォーカートの生産拠点もそれに伴って移動していきました。
中国では、品質管理と納期の問題が常に課題でした。日本の繊細なデザインと、欧米以上に厳しい品質基準に対して、現地工場は対応を嫌がる傾向があり、欧米からの注文を優先することも多々ありました。それでも私たちは品質とデザインに妥協せず、技術指導員と品質管理者を常駐させて生産を続けてきました。
ベトナムでは品質と再現性は安定していたものの、人件費の上昇や職人不足、さらにはガラス工場の廃業など新たな課題が浮上しました。FOLKART GLASSWORKSの将来は不透明となっていきました。
そんな中、思いがけない朗報が届きます。なんと、長年のパートナーだった元成裕公司(現・チェンケン公司)のベトナム工場の経営権を買い取らないかという打診があったのです。
ガラスづくりにおける最も重要な資産は「職人」です。一人前になるまでに5年かかるこの世界で、ゼロから始めるのでは間に合いません。この工場を引き継げば、20名以上の熟練職人と共にすぐに高品質な生産をスタートできる──。私は即断で買収を決めました。

これはまさに、元成裕公司とフォーカート、二代にわたる50年以上の良縁がもたらした奇跡だと感じています。私は元成裕の故・洪社長に大変かわいがっていただき、いまでもご家族と親しい関係を続けています。
FOLKARTのガラスの歴史において、もうひとり欠かせない存在がいます。ガラス職人・蘇定豊(スー・ディンフォン)です。
彼との出会いも約30年前。彼は新竹で最高峰の技術を持つ職人であり、父親は“神の手を持つ男”として知られる伝説的な存在でした。彼が中心となる工房が、フォーカートのミニチュアガラスのクオリティを支えてくれていました。
その後、彼もベトナムに移住し、20年以上現地で働いていました。ところが7年ほど前に退職し次の仕事を決めていないという話を聞き、私たちはすぐに彼に声をかけ、フォーカートに迎え入れました。当時はまだ自社工場がなかったため、彼には夫婦で中国に赴任してもらい、技術指導と品質検査を担ってもらっていました。
彼の「ベトナムで働きたい」という希望も、いまでは叶えることができ、現在はベトナム工場の責任者を務めています。農村部に第二工場も建設し、若い職人の育成も始めています。将来のアメリカ展開に向けて、生産力を2倍、3倍にする体制づくりを進めているからです。
ベトナム自社工場

ベトナムの職人たちと触れ合う中で、私たちは彼らが単に生計のためでなく、心からこの仕事を愛し、ガラスづくりに誇りをもっていることを実感しました。きれいなガラス細工、かわいいガラス細工を作ることが本当に好きなのです。
この文化、この仕事、この技術を未来へと繋いでいく場所を、私たちは守り、残していかねばなりません。規模の大きなビジネスではないからこそ、ちょっとした経済環境の変化で揺らいでしまう危うさもあります。
それでも、国を越えた多くの人々の人生と情熱が交わり、世界中のガラスファンに喜びを届けるこの仕事を、これからも絶やすことなく守り続けたいと心から願っています。