私たちのこと

About us

About
FOLKART GLASSWORKS

私たちの作品で
みなさまの心が
明るく幸せに
なりますように

ガラス工芸品は古代からロマンチックな象徴として愛されてきました。
エジプトやローマでは装飾品や贈り物として、貴族の間で重宝されました。
中世のステンドグラスは信仰と愛を描き、ルネサンス期のムラーノ島では、
洗練された技術で愛の象徴となる作品が生まれました。
現代でもガラス製品は、愛や感謝を表現する贈り物として特別な価値を持ち続けています。

FOLKART GLASSWORKSは、伝統的な硝子工芸技法を受け継ぎながら、
現代のポップカルチャーや“Kawaii”カルチャーを巧みに融合させた
独創的なデザインで、約40年にわたり作品を創り続けてまいりました。

ガラスはその繊細さゆえに割れやすく、手入れを怠れば輝きを失う素材です。
それでも、大切な場所に飾り、愛情を持って接してくださる方々に、
私たちは心から感謝しています。
これからも、皆さまに喜びと感動をお届けできるよう、
魅力的で心に響く作品を生み出してまいります。

ミニチュアガラスイメージ

運営会社情報

会社名 株式会社フォーカート
住所 〒812-0029 福岡市博多区古門戸町10-14
連絡先 TEL 092-271-9550
設立 1964年12月
事業内容 ポップグッズの企画・デザイン・生産・卸・小売   

FOLKARTと手づくりガラスとの出会いは、今から50年以上前に遡ります。

50 years of FOLKART GLASSWORKS

先代からはじまった新竹との交流

創業者・浅川武彦が、日本の伝統工芸品「ポッペン(ガラス製の吹き戻し)」をオリジナルデザインで台湾で生産し、日本で手ごろな価格で提供できないかと考えたことが、その始まりでした。

当時、台湾には「新竹(シンチュウ)」という地方都市がありました。現在では台湾のIT産業の中心地として知られていますが、それ以前はガラス産業の拠点として栄えていました。豊富な硅砂と天然ガスという、ガラスづくりに欠かせない資源に恵まれていたため、1884年にはすでにガラス生産が始まっていたといわれています。

フォーカートは、新竹にあったガラス工場「元成裕公司」にポッペンの製造を依頼しました。彼らにとっても初の試みで、試行錯誤の末にようやく完成した製品は、フォーカートによって「長崎ちゃんぽん」という名前で日本に輸入され、長崎の伝統工芸「びいどろ」との縁からお土産品として販売されました。この商品は修学旅行生に大ヒットし、現在に続くフォーカートの基盤を築くこととなりました。

それ以来、新竹との長い付き合いが始まります。当時から新竹では、芸術性の高い多様なガラス工芸品がつくられており、初期のフォーカートはその中から日本人の嗜好に合う作品を選び、輸入するというスタイルをとっていました。シンプルな方法ながら、多くの美しい手づくりガラスが日本中の人々の手に渡っていったのです。

そして1990年ごろからは、現社長である私・浅川龍が方針を大きく転換し、すべての製品を自社デザインに基づいたオリジナル商品に切り替えることを決断しました。特に、クリスマス、お正月、雛人形など、季節感のあるアイテムの開発に力を注いでいきました。

デザイナー:鐘江 由美(かねがえゆみ)

デザイナー 鐘江由美さん

2003年、紙粘土作家・鐘江由美さんとの出会いが、新たな転機をもたらします。彼女の作品の世界観とスケール感は、フォーカートのミニチュアガラスと見事に重なり、そして何よりも「かわいいもの」に対する感性が多くの人の心を惹きつける魅力に満ちていました。私たちは彼女にガラス作品のデザインを依頼し、以来長年にわたり協働を続けています。

彼女が紙粘土で創り上げた原型を、熟練のガラス職人が忠実に再現する。それがFOLKART GLASSWORKSの基本スタイルです。彼女は年に数回現地の工房を訪れ、職人たちに直接指導を行っています。

また2023年からは、ミニチュアだけでなく「フュージンググラス」のデザインと制作もスタート。彼女が描いたデザイン画をもとに、工房では1ピースずつガラスをカットし成形、窯で焼成して製品化しています。今後はチーム体制での生産へと移行していく予定です。

デザイナー:鐘江 由美(かねがえゆみ)

蘇 定豊について

FOLKARTのガラスの歴史において、もうひとり欠かせない存在がいます。ガラス職人・蘇定豊(スー・ディンフォン)です。
彼との出会いも約30年前。彼は新竹で最高峰の技術を持つ職人であり、父親は“神の手を持つ男”として知られる伝説的な存在でした。彼が中心となる工房が、フォーカートのミニチュアガラスのクオリティを支えてくれていました。
その後、彼もベトナムに移住し、20年以上現地で働いていました。ところが7年ほど前に退職し次の仕事を決めていないという話を聞き、私たちはすぐに彼に声をかけ、フォーカートに迎え入れました。当時はまだ自社工場がなかったため、彼には夫婦で中国に赴任してもらい、技術指導と品質検査を担ってもらっていました。
彼の「ベトナムで働きたい」という希望も、いまでは叶えることができ、現在はベトナム工場の責任者を務めています。農村部に第二工場も建設し、若い職人の育成も始めています。将来のアメリカ展開に向けて、生産力を2倍、3倍にする体制づくりを進めているからです。
 

長く続いた新竹との関係に訪れた転機

話は再び新竹に戻ります。かつて台湾のガラス産業の中心だった新竹も、急速な経済発展による人件費の高騰により、次第に製造の維持が難しくなりました。多くの工場が中国大陸やベトナムへと拠点を移し、フォーカートの生産拠点もそれに伴って移動していきました。

中国では、品質管理と納期の問題が常に課題でした。日本の繊細なデザインと、欧米以上に厳しい品質基準に対して、現地工場は対応を嫌がる傾向があり、欧米からの注文を優先することも多々ありました。それでも私たちは品質とデザインに妥協せず、技術指導員と品質管理者を常駐させて生産を続けてきました。

ベトナムでは品質と再現性は安定していたものの、人件費の上昇や職人不足、さらにはガラス工場の廃業など新たな課題が浮上しました。FOLKART GLASSWORKSの将来は不透明となっていきました。

そんな中、思いがけない朗報が届きます。なんと、長年のパートナーだった元成裕公司(現・チェンケン公司)のベトナム工場の経営権を買い取らないかという打診があったのです。

ガラスづくりにおける最も重要な資産は「職人」です。一人前になるまでに5年かかるこの世界で、ゼロから始めるのでは間に合いません。この工場を引き継げば、20名以上の熟練職人と共にすぐに高品質な生産をスタートできる──。私は即断で買収を決めました。

これはまさに、元成裕公司とフォーカート、二代にわたる50年以上の良縁がもたらした奇跡だと感じています。私は元成裕の故・洪社長に大変かわいがっていただき、いまでもご家族と親しい関係を続けています。

ベトナムのスタッフたち

ベトナムの職人たちと触れ合う中で、私たちは彼らが単に生計のためでなく、心からこの仕事を愛し、ガラスづくりに誇りをもっていることを実感しました。きれいなガラス細工、かわいいガラス細工を作ることが本当に好きなのです。

この文化、この仕事、この技術を未来へと繋いでいく場所を、私たちは守り、残していかねばなりません。規模の大きなビジネスではないからこそ、ちょっとした経済環境の変化で揺らいでしまう危うさもあります。

それでも、国を越えた多くの人々の人生と情熱が交わり、世界中のガラスファンに喜びを届けるこの仕事を、これからも絶やすことなく守り続けたいと心から願っています。